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#18

デザイナ会社員の人生デベロップメント。覚醒し続けるプロセスを気ままに。

生み出したものが綺麗に維持できないことに耐えなくてはいけない

デザイナをやって生きているので、こんなことをいつも考えてる。

生み出したものが綺麗に維持できずぐちゃぐちゃになることに耐えられるようにならなくては。

これについて考えるときに、いつもふたつのことを思い出す。

「自意識過剰であることを緩めなくては」
「もしかしたら親心に近いのかな」

仕事でなにか開発して、それを維持運営していくときに、他人の手が加わっていくことに対して潔癖な節がある気がする。

デザインして、(わたしの作品を壊さないでよーという意味合いの嫌悪感はあまりなくて。アートとデザインは違うので。それは耐えられるようになった)どういう思想で、何が目的でなにを達成したくてつくったのか、というところを、キープし続けたいという思いが強いので、同じ考えでつくってくれないひとの手が加わると、正直、汚れていくように感じてしまう。

仕事だから、しょうがないのにね。
いろんなひとの助けがなければサービスはつくれないし、適材適所で様々な専門性のひとが存在することはありがたいことなのに。
独りよがりな部分が大きいし傲慢だとは思うんだけども。

自分が正しいと思ってるから、つくったものが組織や世の中に溶けて馴染んでいくことをコントロールしたいという発想になるのだろうし。

 

こんなことを会社のひとに話したら、当然思っていいことだと言われた。
生み出したものは子どもだもの。望まないやり方で崩れていくのは悲しい、と。

 

子どもか、なるほど。

その点で、親心もこんな節があるんだろうかと、生み育てたことないけど思った。

まず、思うのは別にいいというところに安心した。
でもいろんなひとが介在することを受け入れて行くことを、自然にできるようにならないといけないんだなと。
「自然に」できないあたりが、傲慢なのだろうと思うと悔しい。

きちんと第一義を確認しながら議論して擦り合わせていけばいいんだろうけど。

生きることは他者がいるということ。
仕事だろうがそれはずっと変わらなくて、あらゆる悩みは人間関係に帰着して、やはりコミュニケーションの量と質で解決することなんだろうな。

 

たぶんここを乗り越えたら、ひとに仕事を任せるような立場になれるのだろうな
いまの課題はこれなんだろうか。

 

なんてことをぐるぐる考えてモヤモヤして、とりとめもなく書いてしまった。