2016年7月から始めたこのブログ。気づいたら10年経っていたので、続けるのに心がけていたこととか、最近思っていることなどを振り返っておく。
- 1ヶ月1記事のルール
- 「自分が知りたい情報がググっても無い」という動機
- 隠れて生きたいのになぜ書くのか
- 動画じゃなくて文章を書くことについて
- ブログで得たもの
- noteにも書いたりしています
- おしまい
1ヶ月1記事のルール
書き始めた当初から、完璧主義的な思考になって挫折するかもという予感がしてしまっていた。そのため、ごくごく低いハードルとして「1ヶ月に1記事書ければ上出来」というマイルールを定めてみた。そして、その通りに10年継続した。
これはかなりゆるい基準なので、立派な継続とは呼べないかもしれない。でも、これを10年120ヶ月連続で守ることができた。それだけで、継続するということについてちょっと自信がついた感じがする。
実際には、書くのが楽しい時期が多くて、1記事どころか3〜8記事くらい書いている月も多い。
毎日更新している人と比べたらしょぼいし、わずかだけど、それでも10年続くブログって全体の中では0.1〜0.5%未満くらいらしいので、まあそれなりによくやったと思っている。アクセスが多いこととか有名になることが目的ではなく、本当にただ書くのが好きだったから書いていた。
「自分が知りたい情報がググっても無い」という動機
このブログは、10年前に「自分が知りたい情報がググっても無い」と感じたことがきっかけで始めた。
特にセルフジェルネイルについて、当時の2016年は本当に情報が少なかった。市販品も玉石混交で、使って比較している人もほとんどいなかった。 セルフでジェルネイルをするにあたって、何を買えばいいのか、どう使えばいいのか、安くていいものはどこにあるのか。なんにもわからなかった。
自分で買って試して、考えて、少しずつわかっていく中、もしかしたら、自分と同じように困っている人がいるかもしれないのでは?と思い、自分がググっても出てこなかったことを、記録としてネットのどこかに置いておきたかった。
隠れて生きたいのになぜ書くのか
発信して有名になりたいという気持ちはない。たくさんの人に見られるのは、正直怖い。普通に怖い。
もともと目立つのが苦手な性格だ。例えば、パーティーのような場に行っても、楽しそうな“陽”の人たちの霊圧に飲まれて、早々に疲れ、はじっこの方で会場を眺めているタイプだ。
みんながワイワイしている横で、ひと通りビュッフェを食べ尽くし、帰り際に「それ捨てちゃうんですか?」ってテーブルに飾ってあった花とか枝物をもらって帰ったりする。真ん中でワイワイはできないけど、ちゃっかりひとりで楽しんでる。
そういう、ちょっと離れた距離感でいたいと思っている。なにに対してもそういう傾向がある。
インターネットがどんな人にも開かれているというのは、怖い一面もある。それでも書いているのは、単純に記録をしたいのと、書いてるのが楽しいからだと思う。自分だけ読めればいい文章とはまた異なる、適度な良い緊張感とか、誰かとゆるく共有したいという外向きのポジティブな気持ちがある。
公開している以上、個人やメディア運営会社に記事を丸パクりされたり、写真を無断で使われたりしたこともある。どちらも著作権侵害であり、「ハァ?」って思うけど。でも、書くこと自体はやめたくないと思っていたし、やめないと決めていた。
調べて試してメモしておく。それを脳の外に置いておくと、あとで自分でも参照できるし、たまに誰かの役に立つ。
考えて、書いて、まとめるということが自分に合っていて楽しい。
実際にはもっと裏でいろいろ試しているけど、「これは別に公開しなくていいか」と流れてしまっているものも多い。 それはそれで少しもったいない気もしてるが。
動画じゃなくて文章を書くことについて
ここ数年で動画コンテンツがこれだけ増えている中で、いまだに文章を書き続けているのは、ちょっと時代遅れなのかもしれない。 だけど、自分にとっては動画よりも文章の方が全体の構造や意味を掴みやすいので、文章の方が圧倒的に好きだ。本を読むこととか、文章を書くこととか、文字や文に触れている時間が好きだ。
なので、自分が書くことで、そういう文章コンテンツが世の中に少しでも残り続ければいいな、という気持ちはある。
長く続けてみたことで、文章を書くということ自体にはまったく抵抗がなくなった。これは役に立つことだ。気が向けば特に気合いを入れなくても書き始められる。あんまり推敲しなくても、割と形になる。仕事でも、メールやチャット文章を書くのがかなり得意になったかもしれない。 クオリティはさておき、書くことがひとつの特技と言っていいものにはなったと思う。
生成AIもまだいない時代から10年書いているのだ。これで何も良くなってなかったら、逆にちょっと困るわね。
ブログで得たもの
アフィリエイトという仕組みはあまり好かれていない印象もあるけど、自分としてはそこまで違和感はない。実際に、このブログもお小遣い程度にちょっとだけ利益を生む。それでまたネイル用品を買って、ネイルをして記事を書いている。
人が人生の時間を使って試し、比較したりして得た一次情報があって、それを読んだ誰かが「これを買おう」と判断する。 そのときに、少し対価が発生するのはそこまで不自然なことではないと思っている。
わたしが何かを調べて買うときも、「よいレビュー記事をありがとう」のつもりで、わざわざ読んだ記事内のアフィリエイトリンクを踏んで買うようにしている。
もちろん、過剰に煽ったり、実際に使っていないものを紹介して荒稼ぎするようなやり方は違うと思うけど、自分が試したもの、自分が良いと思ったものについて書いて、その結果として少しお金が動くという構造自体はそこまで歪んでいるとは感じない。
PR案件はやっていないけど、PRそのものが悪いとも思っていない。 自分も、提供されて書かれた記事や広告を見て買ったものはたくさんある。
ただ、自分のブログでは、なるべく一次情報としての充実度や質は保ちたい。
「消費は悪だ」とか、「広告なんて」という気持ちがないわけでもないけど、それは極端で、山に篭って霞を食べて生きていくわけにもいかない。
このモノで溢れる社会に、生まれた瞬間から参加してしまっている。真っ黒でも真っ白でもない中で、自分の好きなモノやそれに関するささやかな喜びを大切に持っておきたい。自分が自分に戻れる場所だ。
それが誰かの負担の上に成り立っている可能性もあって、どこまでを許容していいのかは簡単には割り切れないと思う。
考えることはやめたくないけど、抱え込みすぎない範囲で折り合いをつけていくしかない。
選んでいるものが、本当に自分の感覚なのか、どこかで仕掛けられたものなのかわからなくなることもあるけど、そういう違いに気づこうとする感覚はできるだけ持っておきたい。
すこし話がそれたが、このあたりも忘れたくないので書いておく。
noteにも書いたりしています
最近は、少し書き方を変えて、ライトにラフにやりたいなと思ってます。
これまでは、調べきって、試しきって、ちゃんとまとめてから記事にすることが多かった。 それはそれでいいんだけど、文章も長いからサクッと読めないし、書く方も腰が重い。毎回長文ですみません。なので、最近はもっと軽いログとして出すことを試してみています。
具体的にいうと、最近はnoteに頻繁に書いたりしている。理由は明確。
- 写真に関する記事が書きやすい雰囲気だから
- ここで書いた時に通りすがりの知らない人に正面から殴られたことがあってほとほと嫌になってしまった。noteはカメラ・写真界隈が素朴で穏やかで豊かであると思う。
- 軽く書きやすい
- 短くても写真数枚でも、サクッと書いて出していい雰囲気がある。はてなで別にそうやってもいいんだけど、自分的には敷居が高い。
- 執筆ツールが使いやすい
- これに尽きる、というところもある。はてなブログは長く使ってるけどなかなか改善されない箇所もある。とくにモバイルアプリが使いづらく感じ、わたしの書き方だとPCがないと記事が完成しない。
- 一方で、noteは細かいところに手が届く感じの使い心地で、iPhoneだけで寝っ転がりながら1記事書き上げられるし、文章と写真に集中できる。
写真や日記みたいな記事に特化した場所になってます。(はてなから完全移行するかどうかは結論が出ていない)
もしご興味あればnoteもどうぞよろしくです。
おしまい
ときどきWavebox(匿名のメッセージツールです)をのぞくと、ブログの感想を送ってくれる人がいる。このブログが好きで、わたしもブログを始めました!と教えてくれる人がいる。
「この行動に意味あるかわからないけど、でもやっぱ楽しいから書くか〜」という肯定的な気持ちになって、背中を押されることがある。本当にあたたかいと思うし、ありがたい。
まったく知らない誰かとのほんの一瞬の触れ合いだけど、ほんの一瞬で気分がガラッと変わって、強く励まされたりする。こういう小さなことでも、進んだり続けたりするきっかけや動力になるんだな〜と新鮮に感動する。ありがとうございます。
ブログだけじゃなくて、人生って、こういうのがあるからやめられねぇな、みたいなところがある。
人の働きかけって、捨てたもんじゃないよね。
みなさんにいいことがありますように。