前もちょっと話したのですが、普段の仕事であるフリーランスデザイナーとは別で、幼き頃からの長年の問いや探求を形にしてみる試みとして、少し前から造形作家的な活動をはじめました。
何かをつくったり書いたりすることを、労働とは違う面でやってみたいなと。
作家アカウント(▶️ @sakitanaami)
そして今度、スパイラル主催の公募展「SICF Fukuoka」に出展することになりました。
SICF Fukuokaは、A・B日程あわせて60組のアーティストが出展し、絵画や立体、クラフト、プロダクトなど、多彩な表現に出会えるアートフェスティバル。
わたしはA日程(9月19日・20日)、ブースNo.17でタフティング作品「抽象標本」シリーズを展示します。
SICF Fukuoka
【会期】
・A日程:9月19日(土)〜20日(日)
・B日程:9月21日(月・祝)〜22日(火・祝)
12:00–19:00
※わたしはA日程に出展します。【会場】
ONE FUKUOKA CONFERENCE HALL
(ONE FUKUOKA BLDG. 6F)
福岡市地下鉄空港線「天神」駅直結【入場料】
無料
福岡は、コンパクトで歩きやすくておしゃれなお店が多い、何度も行ったことのあるお気に入りの街です。魚がおいしい。
展示する作品のシリーズ名が「抽象標本」なのですが、それについて書きたい。
ずっと考えていること
わたしは、この世界って何がどうやってこうなってるんだろう、ということを幼い頃からよく考えている。
世界はどうなっているのか。我々は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか。
いきなり壮大な話なんですが、別に毎日宇宙の真理について考えながら浮世離れして過ごしているわけではなく、ただの労働する一般人です。
本を読んだり、ものを作ったり、植物を育てたり、仕事をしたり、家でぼーっとしたりしながら、幼少期からずっとこの問いの周りをうろうろしている感じです。いろんな領域を勉強したりして。
いろんな角度から世界について考えていると、まったく異なる対象やスケールの中に、共通する構造が繰り返し現れているのを感じる。
たとえば、顕微鏡で見た細胞の輪郭と、石の断面。地層のうねりと、はるか遠くの星雲。それぞれまったく違うものを見ているはずなのに、そこに似た形や構造が見えてくる。それは目に見える形のこともあれば、もっと抽象的な関係性や仕組みのこともある。
宇宙や石や細胞にそうした共通する構造が繰り返し現れている。それは自然の一部である自分自身も例外ではないと思う。
そう考えると、自分もまた世界の途方もなく大きな秩序の一部に含まれているのだと思えてくる。
人間だけがこの世界から切り離されてしまった異質な存在ではないのだ。
それを思うと、ただここにあって生きていることを、静かな力強さとともに受け止められる感覚になる。

「抽象標本」にしてみる
そうした問いや探求の過程で見えてきたものを、「標本」として採集してみたら面白いんじゃないかと思いました。
ただ、何か特定の細胞や石や地層をそのまま再現するのではなく、見る環境や解釈によって、石にも細胞にも地形にも星雲にも見えうる、どれとも言い切れない抽象的な形にする。
鑑賞する人が「これは何として見えるか」という視点を切り替えながら、解釈のスケールや抽象度が動く。認識の枠組みそのものが少し動くような状態をつくりたい。
わたし自身、問いの答えを言葉で結論づけるよりも、問いを抱えたまま日々の中で観察を続けて、その都度認識を更新していくことのほうが大事だと考えている。
だからこのシリーズも、世界について何かわかった「答え」を作品にするのではなく、観察の途中で拾った断片を、その時点の標本として採集・記録しているような感覚に近い。(そもそも、そんな壮大な答えなんて解り尽くすことはできない。)
なので「抽象標本」という名前にしました。
なんでラグなのか
この標本は、タフティングという手法でラグにしている。
タフティングは、ガン型のミシンのようなものを布面に押し当てて、毛糸を植毛していく方法でラグを作れる。

タフティングガンによって打ち込まれた糸の断面が反復してつくる面は、近くで見ると小さな粒の集積で、遠くから見るとひとつの大きな模様に見える。
ミクロでは粒子やピクセルの集積みたいで、マクロでは地層や銀河のうねりみたいにも見える。
この、見る距離によって読み取れるものが変わる性質が、複数のスケールを行き来する「抽象標本」のコンセプトと相性が良いと思う。

でも、ラグにした理由はそれだけではない。
わたしはこのブログでも書いてきたように、家やインテリアがずっと好きである。
でも、好きとか関係なしに、生きていると生活から離脱することはできない。日々は続くし、身体はここにある。
であれば、考えたことを概念のままではなく、触れられるものにして生活に接続してみたい。
ラグは床に敷かれて、踏まれて、生活の摩擦を受けながら存在する。 そのしなやかな耐久性に、生活する姿勢との重なりを感じるし、「敷かれている」というあり方そのものにも、その場を成り立たせている前提や秩序のようなものを感じる。
慌ただしく暮らす日常の中で、このラグがふと目に入った瞬間に、そういえば世界って、深遠で広大な、よくわからないものだったな、と思い出したりして。世界への問いや、自分もその大きな秩序の中にいることを再参照するための手がかりになるかもしれない。
一方で、手や足が触れたときの感触は、意識を身体の「生きている」という実感へ接続し直す。
精神や思考も大事だが、身体的で原始的な喜びもまた大事だ。世界について考えることと、ただ身体で生きること。どちらかがどちらかを阻害するでもなく、そのあいだを行ったり来たりして暮らしている。
わたしにとってラグという形は、問いを抱えながらもうまく身の丈で生きるための工夫になっている気がする。

おしまい
………ということを公募展に応募してみたら、なんと審査に通ってしまいました。がんばる。
個々を見るとそれぞれ違う形なのですが、32点がまとまって「標本群」として並んだところを自分自身もまだ見たことがないので、それも楽しみ。
本当はすました顔で宣伝とかしないといけないと思うのですが、ガラじゃないので結局めちゃくちゃ説明してしまいました。
でも、こうやって考えながら作っていること自体がかなり面白い。しばらくこの方向性で観察と制作を続けてみたいと思っています。 仕事も両立がんばらねば。