やる気やハツラツさがない人の人生論が好き

沈丁花が咲くと春ですね

「やる気やハツラツさがない」というのは、褒め言葉でさえあると思う。

日々の生活の中で自分の心の動きをしっかりと見つめ、世の中と折り合いを工夫し、達観することになったという結果だと思う。
身の丈をわきまえ、幻想を持たず、地に足ついた本質的な目線で世界を観察しているとも言える。

非常に成熟しており安定した精神に見えます。私にとっては。

テレビも雑誌もSNSも、やる気がありすぎる、頑張りすぎる。他者に自分に期待しすぎる。
もっとやる気なく、ゆっくりと、静かに生きてもいいのではと、日頃思っている。

周りばかり見ず、比較せず、自分の内面の精神の動きや楽しみを観察して生きたい。

そんな気持ちをうまく言語化してくれるような、とても気に入ってる著者とその本、とくによかったところの引用文まとめです。

なんか言いようのない閉塞感あるなって人は、ヒントとなる言葉が見つかるかも。

phaさん

京大を出ている高学歴だけど、それは「たまたま」だとご本人は言う。ゆるいシェアハウスをやりながら文章を書いたり猫を愛でたりして生きている。

持たない幸福論

今の「働く」について変だよ、と言いつつも、じゃあ文句ばかり言ってないで個人レベルではどう考えればいいのか?ということに対する持論が語られていて、よくぞ言ってくれたという気持ちになる。
phaさんはニートだけど、厭世的な物言いはあまりしないので読んでいて安心するし(社会や周りのせいにして文句言ってても、生きてかなきゃいけないからね)、難しい言葉を多用せずニュートラルな文体が好き。自分で深く考えて生きてきたのだなという感じがして尊敬する。

引用

生きるにおいて本当に大事なことは何かというと、「一人で孤立せずに社会や他人との 繫がりを持ち続けること」と「自分が何を好きか、何をしているときに一番充実や幸せを感じられるかをちゃんと把握すること」の二つだと僕は思う。

出典:持たない幸福論 - pha

体はものを感じたり考えたりするベースであり、危険を察知するアンテナだ。体調が悪くて体が危険信号を発してるのにそれを精神でねじ伏せて頑張ったりしてはいけない。そういうことをしているとそのうち倒れる。自分が楽にいられる感じで好きなことをやっているのが一番いい。

出典:持たない幸福論 - pha

全てに意味がないということは、全てに意味があるのと同じことだ。意味のない全ての中から自分の好きなものに意味を持たせればいい。世界の全てはそういう主観でしかない。

出典:持たない幸福論 - pha

昔は「四十年間働いてその後二十年間休む」みたいな人生計画を持つ人が多かった。でも今は昔ほど会社というシステムが頼りにならないし、同じ仕事で安定して四十年も働けるかどうか怪しい時代だ。だったら「四十年間働いてその後二十年間休む」という時間軸に沿って縦に積み上げた時間配分を横に倒して、「四年働いて二年休む」を繰り返していくとか、「週に三日半働いて三日半休む」を繰り返していくとか、そういう風にするのもありじゃないか、という主張だ。僕もそれはすごくいいんじゃないかと思う。

出典:持たない幸福論 - pha

世の中の空気のようなものを変えるにはどうすればいいかというと、結局、それぞれの人がしっかりと考えながら自分の人生を生きていくしかないのだと思う。世の中の空気というのは、一人ひとりのそれぞれの個人の生き方の集合体だからだ。

出典:持たない幸福論 - pha

ニートの歩き方

引用

僕は「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼ぐには働かなければならない」という事実にまだあまり納得がいっていないというのがある。憎悪していると言ってもいい。それは社会では当たり前のことなのかもしれないけど、それが当たり前だって簡単に思いたくない。もっと適当に、お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんじゃないのだろうか。それは夢のような話なのかもしれないけど、なんかそれは諦めたくない。

出典:ニートの歩き方 - pha

「学校や会社にちゃんと行きなさい」「みんなやってるんだからそれくらい普通にできるでしょ」「普通の環境に適応できないのは努力が足りないから」なんていう意見は、大して努力しなくても自然に社会に適応できる多数派の人の傲慢な意見にすぎないので聞かなくていい。人間はいろんなタイプがいるのだ。

出典:ニートの歩き方 - pha

「無理して頑張らなくても構わない」ということになると、みんな怠情になって何もしなくなって社会が崩壊してしまうとか言う人がいて、そういう人が怠惰な人を叱りつけたりしたりするんだけれど、くだらない。叱ったり脅したりしないと崩壊してしまうようなシステムはロクなものじゃないし、そんなんだったら別に滅んでもいいと思う。

出典:ニートの歩き方 - pha

一人の人間が何かしたことなんて、もしくは何もしなかったことなんて、大体は三年もしたら消えてしまう。その人がそれをしてもしなくても、世界のほとんどには影響しない。その人が自分の仕事をしなくても、他の誰かが同じ仕事をこなすか、もしくは誰も気にしないかだ。

出典:ニートの歩き方 - pha

自分と違う生き方をする人たちについて、自分とは全く切り離された何かだと思わず、自分と共通する土壌から生まれた全体の一部だと思って受け入れられるような、そんな寛容さをみんなが持ったらもう少し世界は生きやすくなるんじゃないかと思う。

出典:ニートの歩き方 - pha

森 博嗣さん

工学博士で助教授をやる傍ら、夜のバイトとして小説を書いたのがヒットした。しかし本当は幼少期から大好きな工作をやりたいだけで、本はたくさん出されているが本当はやりたくない、と語られている。
いろいろなものに期待せず諦めて生きてるところが励まされる。わたしも諦めて生きたいと思った。
今は広い土地で各種工作をして暮らしながら、仕事の量は1日1時間までと決めているらしい。めっちゃいい。

諦めの価値

人生相談的な質問に対し、つっけんどんで本心をグサグサ刺してて痛快。「それの何が問題ですか」「それでいいのではないでしょうか」もいっぱい。視野狭かったわってハッとする。聞く人とタイミングによっては痛い。でも、めちゃくちゃ達観してていい。こうなりたい。

引用

抽象的に考え本質を見る。ここで、重要なことは、目的の抽象化である。 人間は、具体的なものに囚われて、本来の目的を見失いやすい性質を持っている

出典:諦めの価値 - 森博嗣

(現状に対するぼんやりとした不満に対して)では、どうすれば良いのだろう。今のこの繰り返しを受け入れ、これが自分の人生だ、と諦めるのか.......。 なにか夢があったはずではないか。過去にもっときらきらしたものがあったはず。 これが、もやもや感となる。 このジレンマから抜け出す方法はないのか? とまた「方法」を探してしまうのである。探すことが間違っているのに。

出典:諦めの価値 - 森博嗣

また、幸福感というのは、仲間と分かち合うものではない。自分の中で生まれ、外に出ていかない。自分の中で完結している。ここに注意が必要だ。同じ楽しさを味わっているように見えても、それぞれに満足度は異なる。だから、パートナと一緒に、家族みんなで、仲間と一丸となって、と考えているとしたら、そこを注意すべきである。
「え?分かち合えないなんて、寂しい」とおっしゃるかもしれない。そのとおり、人間とは、寂しいものである。その本質を忘れようとして、集団の幻想が生まれる。

出典:諦めの価値 - 森博嗣

もやもやと悩んでいる自分を忘れるほど、なにかに没頭することが、あなたに本来の「あなたらしさ」を思い出させるだろう。それは何か、ということは、ここには書けない。それを自分で見つける以外にないからだ。

出典:諦めの価値 - 森博嗣

泉谷 閑示さん

精神科医。幼少期からリーダー気質だったそうだ。音楽への造詣も深い。人間とはなんなのかを知りたがり、医者を志すが、人体しか知り得ず、社会的な成功はしたがちっとも幸せではなかったという。人間というものについて本当に知りたいと思っていたのは、「精神の働き」であると気づき、精神科医になる。生まれ変わることが「治る」ことだという。

仕事なんか生きがいにするな

泉谷さんも、先述のお二方と同じく、ニュートラルで好き。 とくに、「観照生活」という考え方がとても気に入った。Twitterのプロフィールに書くくらい気に入った。
「仕事」と「労働」を明確に区別している。

引用

この「観照」とは、現代の言い方では内省や 瞑想 といった言葉が近いかもしれませんが、自然や宇宙の真理を感じ取るべく、静かにそれと向き合うことを指しています。 ギリシヤ人によって、 動的な「活動的生活」も思考することも、それらすべてはこの静的な「観照生活」に向かうべきもので、これこそが究極の人間らしい在り方とされていたのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

いつの間にか人々は、人間らしい「観照生活」を失ったのみならず、人間らしい「仕事」も失って〈労働する動物〉に成り下がり、歯車のような「労働」によって次々に消費財を生み出しては、取り憑かれたようにこれを消費するという、人間らしからぬ状態に陥ってしまったのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

人が生きる「意味」を感じられるのは、決して「価値」あることをなすことによってではなく、「心=身体」が様々なことを「味わい」、喜ぶことによって実現されるのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

たとえ「労働」に従事せざるを得ない場合においても、それをいかに自分が「仕事」と呼べるものに近づけていけるかを工夫してみるのもよいでしょう。つまり、「労働」において見失われがちな「質」というものを、自身の「心=身体」の関与によって回復させることができる余地が、一見無味乾燥に思える「労働」の中に見つかることもあるのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

何でもないように見える「日常」こそが、私たちが「生きる意味」を感じるための重要な鍵を握っているのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

このように「頭」と「心=身体」が対立せずに、互いが相乗的に喜び合っている状態。これを、私たちは「遊び」と呼ぶのだ

出典:仕事なんか生きがいにするな - 泉谷閑示

なぜ生きる意味を感じられないのか

引用

まずは、巷に満ち満ちている「考え過ぎるな」といった意見に惑わされてはならないでしょう。なぜなら、思考停止することによって器用に社会適応している彼らの処世術は、人が空虚感を抱くようになる段階以前、つまり実存的問題に向き合う以前のものだからです。
ひとたび覗き込んでしまった実存的問題について、それを見なかったことにできるものではありません。真の解決のためには、むしろしっかりとこの空虚感と向き合い、この空虚感が私たちに告げようとしているものについて考え、その正体を看破し、突き抜けることこそが求められているのです。

出典:なぜ生きる意味が感じられないのか - 泉谷閑示

このように、私たちは、ありとあらゆるところに、「頭」の効率主義や損得感情を持ち込んでしまっているわけですが、しかし、それを自身の「心=身体」が決して喜んではいないことに、気づいていなければなりません

出典:なぜ生きる意味が感じられないのか - 泉谷閑示

教育とは、単に知識の伝承を行うことではなく、憧れるに足る豊かな世界があるということを啓蒙するところにこそ、本質がある

出典:なぜ生きる意味が感じられないのか - 泉谷閑示

生のきらめき

出典:なぜ生きる意味が感じられないのか - 泉谷閑示

むしろ、この時代に生きていて「空虚さ」を感じて苦悩する方が、はるかに真っ当な反応であり、その苦悩こそが問題解決の出発点なのです

出典:なぜ生きる意味が感じられないのか - 泉谷閑示